同じものは一つとしてない。
常に唯一のモノを造ってきた。

取締役 建築部長 齋藤 善和 YOSHIKAZU SAITOH ※役職・内容は2019年10月取材当時のものです。

「建築という仕事のおもしろさは、一つとして同じものがないこと。毎回が新鮮で、挑戦すべき何かに出会う。だから、やりがいがあるんです」と、新発田市はもとより、首都圏でも多くの建築の現場を統括してきた斎藤は、新発田建設での実績を振り返る。同じ規模、同じ工法だったとしても、建築する場所や季節、周囲の環境などの条件により、求められる技術は異なり、工事の難易度も大きく変わるという。今も記憶に残る二つの工事とは。

リスクは人の力でカバーできる。

ひとつは新潟県立新発田高校だ。巨大なコンクリート構造物の中は、4階建ての普通教室棟と特別教室棟の2棟が1階の交流スペースを挟んで向かい合う、いわゆるショッピングモール型の設計。中央の交流スペースは吹き抜けで、明るさと開放感を確保している。

この大空間には、コンクリートの床を厚くし、その中に円筒形の空間を開けて強度を出す『中空スラブ工法』が採用された。その特徴は床を支える梁がいらないので、床の裏面がすっきり出来上がること、梁形が無いため天井裏配管のスムーズな施工が可能で階高が全体的に低く出来ること。

斎藤はそれまでに何度かこの工法の施工経験があった。実は、難しかったのは工法ではない。「何もない敷地に建築物を新築するのとは違い、この現場は建て替えだったので、厳しい条件がありました」。工事現場からわずか7mの位置に旧校舎があり、そこでは生徒が勉強している。現場の三方向が旧校舎や既存の建物に囲まれ、アプローチできるのは一方向のみで、作業効率が悪い。さらに、「卒業生を真新しい校舎で送り出してあげたい」という学校からの要望もあり、工期延長は許されない。

このような条件の中、騒音や振動をどう防ぐか、車両の出入りをどのようにして登下校時の生徒の安全を守るか、山積する課題を解決したのは、「人の力でした。工事に関わる全員の意識統一、協力体制の構築、そして細かな調整の繰り返し。施工管理の仕事は、資材や建設機材、車両、技能者たちなど、様々なモノと人をいかにタイムリーに確保し、全員が良い建物を造るためにどう動かすかですが、そこを徹底しました」。

2年弱に渡って、斎藤らが細心の注意を払いながら造り上げた校舎は、後に映画のロケ地となり、多くの若者の注目を集めることになった。

数字を超える知恵があった。

斎藤にとって忘れられないもうひとつの工事は、城の復元だ。明治維新後に取り壊された新発田城、その北西角に建っていた「三階櫓(さんがいやぐら)」の復元工事が新発田建設に任されたのだ。江戸時代には幕府に遠慮して「櫓」と呼んでいたが、実質的には天守閣的存在である。社員の意気は揚がった。

とはいえ、手掛かりは、古文書や史料、わずかに残る写真のみ。工法も材料も現在とは異なる。「築城当時と全く同じ方法を取ることが本当にいいことなのか、ここが思案のしどころでした。安全性や耐久性、メンテナンスのことを考えると、当時の手法や材料を踏襲しながらも、現代的な要素を取り入れることも必要で、その兼ね合いが難題でした」。

たとえば、土壁。竹で作った井桁状の骨組みの上に縄を巻き付け土を塗っていくが、その土には長さ5cmくらいに裁断した稲わらや砂を混ぜてから、半年ほどかけて粘性を調整しながら発酵させたものを用いる。「繊維質の稲わらを入れて強度を高めていたんです。土壁は見た目の美しさや吸湿性に優れるだけでなく、耐火性や耐久性により城を守る堅牢さを合わせ持っていたということです。また、材料は、風土に合うようにその地域のものを用いるのが原則でした」。平成の復元でも、阿賀川流域の土と新発田の水を使用。その上で、目に見えない部分で現代の建築で使用されている材料を加え強度を高めた。つまり、江戸と平成のいいとこ取りだ。

漆喰は国産品にこだわり材料を選定した。外壁用の漆喰には椿油を取り寄せて混ぜ込んだ。撥水性を高めることが目的だ。「史料にはありませんでしたが、多湿で降雪もある新発田でも有効だろうと思ったからです」。また、材料の木材を東京の検査機関に持ち込み、品質を担保。構造では、筋交いの代用として柱と柱の間に板を落とし入れ、その板と板を『だぼ』で継ぎ1枚の大きな板とすることで、耐震化を図った。検査機関では実物大の構造模型を用いて強度試験も実施した。「築城当時は筋交いではなく、こうした方法で耐震性を高めていたと考えられます。計算式や実験データこそありませんが、先人の知恵や技術が詰まった木造建築が日本各地に残っています。こうした知恵や技術を残していくのも私たちの仕事だと思っています」。

三階櫓は技術を継承する場でもあったのだ。

技術は個人のものじゃない。

伝統工法から現代建築まで、幅広い技術、多くの建築を手掛けてきた新発田建設。「技術者にとって、専門知識や新しい情報を得ること、知らなかった工法や技術を経験して身に付けることは大切なことです。そうやって皆、成長していきます。ただ、その技術を個人の持ち物にしてはいけないのではないか、と、思うようになりました」。

それは建築という仕事が一人ではできないからだ。1枚の設計図を現実の形にしていく現場には、工事内容が細分化され、専門性の高い数々の作業があり、必要な資格や技術、経験を持った技術者や技能者が工程に沿って出入りする。そこで、お互いが協力し、技術を結集することができれば、工事の品質も個人の力も向上するはずだと齋藤は考えている。だから、抱え込んではいけない。「現場には多くの技術者・技能者がいて、それぞれプライドも意地も持っている。だから、ぶつかることもありますが、それもある意味ではいい刺激。技術的に切磋琢磨しながらより良い方向に進めるのです」。

「モノを造る方法がわかるのが技術者ではなく、多くの技術者・技能者の声に耳を傾け、考え、そして、利用した人たちが造り手の気持ちを感じられる建築物を目指して、一心に「モノ造り」に打ち込めるのが本当の技術者ではないかと思います」。今後は、そうした人材の育成にも関わりたいと言う。

モノづくりは人づくりに通じる――それは新発田建設のモットーでもある。